ご挨拶


ようこそ、いらっしゃいました。
『モントルーの調べ』の管理人、薄紅香(うすべにこう)です。

こちらは、池田理代子先生原作の『ベルサイユのばら』の
二次創作を主に扱っています。
また、イギリスのロックバンドQUEENについて、
日々のつれづれも書いていきたいと思っています。

since 2019.03.07
皆さま、こんにちは。

毎日、暑すぎますね。
この暑さで、お腹の脂肪が溶けてくれるといいのですが・・・。

今日は、終戦の日、それに因んだ、母の体験をちょっと書いてみます。
母は、昭和8年生まれ、出身は浅草です。戦争中は、学童疎開で、作並に行っていました。疎開と言っても、食べるものも満足になく、それに、小学校の低学年、お母さんが恋しくて、恋しくて、誰かが泣き出すと、それにつられて、皆で泣き出したそうです。

そんな中でも、それぞれ、お母さんが来て、他の子に見つかると、可哀想なので、近くのお寺(山寺と言っていましたが・・・ホントか定かではありません)に行って、面会していました。

母が言うには、他の同級生は、お母さんが持って来てくれた、差し入れを食べて満足そうにしていたそうです。ですが、祖母は真面目だったそうで、何も持って来なかったそうです。それを知ったのは、戦後だったよう。

そんな中、東京に帰る事になりました。
ですが、第一陣は、3月15日に浅草に戻りました。東京大空襲の日です。東京の下町は、もの凄く、近くの隅田川には、燃えている身体の火を消そうと、多くの人々が飛び込んで、溺死した人も多かったとか・・・。そして、第一陣で帰った、子ども達も全て、亡くなってしまったそうです。

母は、第2陣でした。空襲を免れました。しかし、祖父はまだ、これからも、空襲は有ると考えました。母は、5人兄弟の末っ子です。

祖父は、長男を残して、祖母を始め4人の子どもを、故郷の山梨に疎開させました。お陰で、母は空襲を経験しなかったのです。が、後々、空襲を経験しなかった事が、申し訳ない。と、ほとんど寝たきりになった頃、始めて言いました。

私は、何と言ったらいいのか分からず、「そう・・・。」とだけ答えましたが、おじいちゃんが、お母さんが、可愛くて守ってくれたんだよ!って、言ってあげれば良かった。
今では、そう思います。

でも、そんな母ですが、中学の帰り道では、姉と銀座の闇市をひやかして、遊んでいたようです。

私ごとで、申し訳ありませんでした。終戦記念日に思い出したので、書かせて頂きました。

さて、SSの方は、パリです。オスカルさまに、名所観光をして頂きます。
私が、殆ど行っていない所、行ってみたい所、です。
少しずつ、確信に近づいて行きます。
お楽しみいただければ幸いです。

拍手、ありがとうございます。
毎度毎度、励みになっています!

     薄紅香でした。
2020/08/15(土) 05:01 お知らせ PERMALINK COM(2)

COMMENT

終戦記念日にお母様の戦争体験のお話、とても心に染み入りました。直接体験していなくても、実際に体験している方の言葉を記録して繋げて行くことで、平和を守る行動をしていらっしゃる薄紅紅さんが素敵で、思わずコメントしちゃいました(^^)
hama 2020/08/18(火) 08:09 EDIT DEL
hamaさま、書き込みありがとうございます。
また、過分なお言葉ありがとうございます。

戦中を生きた、普通の少女の記憶です。父は、祖母の実家の池上に疎開していましたが、大空襲の翌日、京浜東北線から、海が見えたと、言っていました。

今回は、コロナのは、避けよう。もっと明るい話を・・・。と思っていましたが、戦争の話になってしまいました。
薄紅香 2020/08/20(木) 02:16 EDIT DEL

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